2021年の終わりに…佐藤きみよさんを偲ぶ

毎年、暮れのこの時期になるとマスコミ各社が「墓碑銘」とか言うようなタイトルで、その年に亡くなった著名人を振り返るコーナーを設けている。

それにならって、今回のブログの中では、今年(7月)にお亡くなりになった、「人工呼吸器使用者のパイオニア」佐藤きみよさんのことを偲んでみたいと思う。

佐藤きみよさんは、自立生活センターさっぽろの設立者・理事長であるとともに、日本で初めて人工呼吸器を使用して自立生活を始めたパイオニアである。

また、彼女が設立した「ベンチレーター使用者ネットワーク(JVUN)」は、全国の呼吸器ユーザーに光と希望を与え続けてきた。

当団体の創設者である渡辺正直(2012年永眠)も、そのひとりだ。

渡辺の障害(進行性筋ジストロフィー)が進行し、いよいよ呼吸器を使用せざるを得なくなった時、当時の静岡では、自立生活をする呼吸器使用者の前例がまだ皆無で、支援者やヘルパーも含めてたいへんな戸惑いの中にあった。

「人工呼吸器を使っての自立生活なんて、本当に可能なのか?」

「ヘルパーがたんの吸引なんてできるのだろうか?」

そんな時、私たちの背中を強く押してくれたのが、佐藤きみよさんと「ベンチレーター使用者ネットワーク」だった。

「大丈夫、何とかなるよ…」

佐藤さんたちから頂いたアドバイスのひとつひとつに、私たち一同は、どんなに勇気づけられたことだろう。

それから約5年後のこと。

呼吸器を使用しての自立生活もなんとか軌道に乗った渡辺正直は、1990年の市議選に出馬して見事当選を果たした。

静岡市議会で質問する渡辺正直議員

当時日本で始めての「呼吸器を使用する市議会議員」となった渡辺を、佐藤さんが講演会の講師として札幌へ招いて下さった。

私(奥村)と渡辺は、あの時の恩返しをしたい一心で、他の予定をすべてキャンセルして、はるばる札幌まで駆けつけた。

佐藤さんの事務所(「自立生活センターさっぽろ」と「ベンチレーター使用者ネットワーク」の本部を兼ねていた)を見学させていただいたあとに、地元で美味しいと評判の寿司屋へ連れて行っていただいた。

その時にご馳走していただいたウニやホッキ貝の味は、今も舌に残って忘れられない。

その後も、当団体が3号研修(ヘルパーを対象とした医療的ケア研修)を始めることになった時にも、あるいは仲間が呼吸器を使用することになった際にも、佐藤みきよさんには陰に陽にお力添えを頂いた。

今では、当団体が3号研修で使用するDVD(「ベンチレーターと楽しい暮らしマニュアル」)の中で、佐藤さんの元気な頃のお姿を懐かしく偲ぶばかりである。

佐藤さん、長い間ご苦労さまでした。

これからも、天国から、呼吸器使用者たちをお見守り下さい。

(奥村譲)

佐藤さんの著書「雨にうたれてみたくて」はAmazonで購入可能です

4 thoughts on “2021年の終わりに…佐藤きみよさんを偲ぶ

  1. フジワラシンヤ より:

    この度は?
    佐藤喜美代さんの
    ご冥福を心寄りお祈り
    申し上げます。
    道立札幌肢体不自由児総合
    療育センター1病棟で
    一緒に遊んだりテレビも
    見ましたね⁉️
    私も今年の6月2日金曜日に
    お父さんが亡くなりました。
    9月2日で3か月になります。
    まだ気持ちの整理が
    ついてません。
    喜美代さん?大好きだよ。

    1. フジワラシンヤ より:

      療育センター
      二階1病棟1号室では?
      一緒に遊んだり?
      オレの手術の時とか?
      濃厚治療室へ来て
      くれたり?
      サンデー九の取材の時
      坂本九ちゃんが
      療育センターに来た時から
      僕は繋がり有ります。
      喜美代さん?
      いつもありがとう。
      フジワラシンヤ。

  2. 井藤朝美 より:

    こんばんは。私の娘1番下の子が9月で11歳になりましたm(_ _)m
    9ヶ月の頃に保育園で誤嚥しドクターヘリでの救急搬送後しばらくして退院しました
    ある日突然ハイハイもしなくなりつかまり立ち半ばできなくなりました。おかしいときずき沖縄の病院へ行きました。色々検査した結果脊髄性筋萎縮症でした。
    何度も肺炎になり沖縄へのヘリ搬送
    しかしながらこんかい久々の搬送になりました。何度か泊まってる病院近くの施設に
    たまたま車椅子の挑戦者達て言う本に目が言ってしまい見入ってしまいました。
    すごく共感してしまい今コメントを残したいと思いました。今私の娘もPICUで人工呼吸器と自発呼吸で頑張ってます。
    もう一度チャンスがあるならばと抜管トライしたいところでしています
    元々病気が原因で咳も出にくくコホンコホンって感じでした
    いつかはと切開しないといけないと思いながら今日に至ります
    でも正直諦めたくないのが現状にあります
    今後いつまた搬送になるかわかりませんが
    てももしかしたら絶対はいつかは切開だよねと思ってきてます。
    でもこの本を見て感動しました
    私は明日娘にもこの本持って言って話ししたいと思います。娘も将来私は好きな人いても告白できないと言ってました
    勇気大事だなと。この本に出会えたことに感謝です普段あんまり読書しない私ですが
    この本からはなにかインスピレーション感じました。力貰えました。色々な考えも持てるように頑張ります。長文にてすみません

  3. 喜美代さん?
    こんにちは?
    私も今年で50歳となり?
    喜美代さんの年齢に
    達しました。
    残っている印象として
    高橋武院長先生や
    喜美代さんに対して
    残っている印象が強く
    感情が有ります。
    喜美代さん?
    ありがとう。

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