静岡障害者自立生活センター   NPO法人ひまわり事業団 本文へジャンプ
HOME
 自立生活プログラム
ピアカウンセリング
介助派遣サービス ひだまり
就労継続支援B型
 それいゆ
 放課後等デイサービス
 らるく
 相談支援事業
 自立体験室
 研修事業
 その他の事業
 スタッフ紹介!
 追悼 渡辺正直
 ACCESS
 
 
追悼 渡辺正直

 

 

 

静岡障害者自立生活センター代表(ひまわり事業団副理事長)で、30年以上にわたって静岡の障害者運動をリードしてきた渡辺正直(わたなべまさなお)が、平成24年1029日早朝、心筋梗塞にて急逝いたしました。

享年58歳。ご冥福をお祈りいたします。

               

渡辺正直の歴史は、静岡の障害者運動の歴史

渡辺正直(進行性筋ジストロフィー)は人工呼吸器を使用しながら地域で自立生活を実践する一方、障害当事者の立場から社会に対して常にメッセージを発信し続け、静岡の福祉施策に大きな影響を与えてきました。その功績はあまりに大きく、とてもひとことでは言い表せないほどですが、この場をお借りして少しだけ振り返ってみたいと思います。



◎日本の障害者運動のあけぼの、静岡の自立生活運動のさきがけ

70年代終わり〜80年代始め〉

脳性マヒ者の団体「青い芝の会」などが、自らの権利を獲得するために、川崎バスジャック事件をはじめとする過激な闘争をしていた70年代の終わりに、静岡の自立生活運動は産声を上げました。施設や親元から決死の覚悟で飛び出してきた障害者の仲間たちが、渡辺を中心に、静岡市南部に共同生活寮「ひまわり寮」をスタートさせたのです。まだ、町中で車椅子の姿を見ることさえ珍しく、公的な介助保障は皆無の時代。渡辺は日々の生活にボランティアの助けを借りながら、障害者の権利を求めるさまざまな活動をはじめたのでした。

                   

 
↑このページのトップへ

◎静岡障害者自立生活センターの設立、そして「ひまわり号」を走らせる運動

80年代中盤〜90年代前半〉

 

ひまわり寮を出た渡辺は、本格的に地域で自立生活をはじめました。また同じころ、寮の中にあった自立生活センターを「静岡障害者自立生活センター」として独立させ、その代表として就任。アメリカの自立生活(IL)運動をいちはやく取り入れたさまざまな活動を展開していきました。1992年には「カナダ・アメリカ福祉研修旅行」を企画。サンフランシスコにおいて、自立生活運動創始者のエド・ロバーツと念願の対面を果たしました。

また、この時代は、駅にはエレベーターなどほとんどなく、車椅子でバスや電車に乗ることが困難だった時代。渡辺たちは「誰もが使える公共交通機関」を求めて、安倍川駅にスロープを設置する運動や、「ひまわり号」を走らせる運動を展開いたしました。「ひまわり号」とは、電車に乗った経験のない障害者のために、JR(当時の国鉄)の車両を一日借り切ってレクリエーションに出かけると共に、交通バリアフリー実現をアピールするための全国運動です。渡辺はこの「ひまわり号を走らせる静岡実行員会」の初代実行委員長を務めました。

 
↑このページのトップへ
 

◎「登録ヘルパー制度」の実現

〈90年代中盤〉

日常の介助をほとんどボランティアに頼り、不安定な生活を送っていた渡辺にとって、公的な介助保障の実現は悲願でもありました。1995年、渡辺たちの市への粘り強い働きかけが功を奏し、静岡市に「登録ヘルパー制度」が誕生しました。これは、障害者が自らのボランティアを市に対してヘルパーとして登録することによって、介助を受けた場合の報酬が市から直接ヘルパーに支払われる、という当時としては画期的な制度でした。これによってはじめて、ボランティアが有償のヘルパーになったのです。


↑このページのトップへ

◎静岡市初の車椅子議員

90年代終わり〜00年代中盤〉

1999年、渡辺は静岡市議会議員選挙に挑戦し、はじめての選挙で見事に当選を果たしました。静岡市初の障害者議員の誕生です。渡辺はさっそく議場のバリアフリー化を実現。電動車いす姿で演壇に上がり、当事者の立場から静岡市の福祉改善を訴える姿はマスコミなどにも多く取り上げられました。また、人工呼吸器を使用しながら、常にヘルパーを同伴して議員活動をする姿は多くの人たちを勇気づけることにもなりました。渡辺は静岡市議会議員を16年務め上げ、知的障害者ガイドヘルパー制度の実現などに尽力いたしました。

 



↑このページのトップへ
 

◎福祉サービスの受け手から担い手へ

2000年代〉

高齢化が急速に進み介護保険制度が導入される中、障害者福祉においても「措置から契約」へと、福祉サービスの大きな転換が起こりました。渡辺たちの活動もいちはやくこの変革の波に乗り、「NPO法人ひまわり事業団」、「NPO法人静岡ピアサポートセンター」を次々と設立。障害者自らが主体となって設立・運営し、障害当事者の立場から福祉サービスを提供する事業所(「介助派遣サービスひだまり」や「それいゆ」、「らるく」等)を市内に次々に展開していくことに成功いたしました。





 ↑このページのトップへ

 

◎被災地の障害者支援、医療的ケアの法制化…

いまや、介助派遣サービスひだまりは、市内有数の大きな事業所に成長いたしました。ひだまりの理念である「障害者主体」や「どんな重度な障害者でも地域であたりまえに生活できる社会の実現」は、まさしく渡辺正直が生涯を通して追求してきたことです。

2011年3月、東日本大震災が発生。被災した仲間の障害者を支援するために、渡辺は「東日本大震災障害者支援プロジェクト」を立ち上げ、街頭カンパ活動やチャリティーのためのアート展などに取り組みました。

また2012年には、渡辺の長い間の念願であった「ヘルパーによる医療的ケア法制化」が実現。人工呼吸器使用者のひとりとして、ますます重度な障害を持つ仲間の地域生活支援にエネルギーを注ごうとしていた時、突然、渡辺は旅立ってしまうことになったのです。

 残念ながら、静岡の障害者運動の先頭に立ってきた渡辺正直はもうこの世にはおりません。

 私どもとしては、渡辺がこの世で成した数々の功績を振り返りつつ、渡辺の遺志を引き継いで、今後も「共に生きる社会」の実現のために活動を展開していく所存です。



↑このページのトップへ